善光寺地震による被害と掘り貫き工事とは? わかりやすく解説

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善光寺地震による被害と掘り貫き工事

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/05 21:46 UTC 版)

芋川用水」の記事における「善光寺地震による被害と掘り貫き工事」の解説

1847年5月8日弘化4年3月24日)に起きた善光寺地震用水難所ことごとく破壊され通水不可能になってしまう。復旧策について用水関係者協議した結果、戸屏風岩から、芋川坂下までの721間余りの距離を一直線掘り貫き通水することに決定した復旧計画では、当地における技術者確保難しく江戸本所番場町棟梁高田喜三郎設計作業指導依頼9月着工し翌年3月3日完成予定期限とした。総工費793両の事業であった。しかし、難工事のため大勢犠牲者がでて、工事そのもの完成期限には間に合わなかった。仕方なく壊れた用水修理行い、その年の稲の作付け間に合わせた。この修理平行して掘り貫き工事も行うと、用水恩恵を受ける役人書状出している。 工事地震から2年後1849年嘉永2年8月25日ようやく貫通9月20日通水しこれを祝うお祭り盛大に行われた。このとき、事業の開始から飯山藩多大な助成があったことから、役人による検分が行われた。しかし、翌年1850年嘉永3年1月28日昼頃掘り貫き下流出口崩落。何とか復旧試みるも、重機もない時代人力ではどうにもならず、同事業の契約時、普光寺(現飯綱町大字普光寺)との議定により、当初事業請負契約通り従来用水修理し通水することとなった

※この「善光寺地震による被害と掘り貫き工事」の解説は、「芋川用水」の解説の一部です。
「善光寺地震による被害と掘り貫き工事」を含む「芋川用水」の記事については、「芋川用水」の概要を参照ください。

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