善光寺宿の御本陳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/25 09:54 UTC 版)
「藤屋 (長野市)」の記事における「善光寺宿の御本陳」の解説
前身である御本陳藤屋旅館(ごほんじんふじやりょかん)は、旧北国街道善光寺宿の本陣として長い歴史を持つ旅館である。 善光寺門前の大門町は旅籠の営業を独占する特権を持ち30軒ほどの旅籠があったが、この中で藤屋は本陣として加賀藩前田家の参勤交代時の常宿となっていた(なお、藤屋では「本陣」を「本陳」と表記している)。「一生に一度は詣れ」といわれる名刹・善光寺門前の宿場とあって、大門町は大変な賑わいを見せていたが、藤屋は各宿と客引きの禁止を取り決め、町の格式を保ったという。 明治に入り1892年(明治25年)には、欧風要素を取り入れた木造三層楼に建て替え、「對旭館(たいきょくかん)」と称した。また、1888年(明治21年)に開通していた信越本線の長野駅・吉田駅(現 北長野駅)前にも支店を出店し(現存せず)、鉄道の時代に入っても旅人の憩いの場であり続けた。
※この「善光寺宿の御本陳」の解説は、「藤屋 (長野市)」の解説の一部です。
「善光寺宿の御本陳」を含む「藤屋 (長野市)」の記事については、「藤屋 (長野市)」の概要を参照ください。
- 善光寺宿の御本陳のページへのリンク