商業的発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 22:19 UTC 版)
このような軍事的背景とは別に日本は朱印船貿易により、貿易面においてもアユタヤ日本人町は多くの発展を遂げた。まずアユタヤ君主・エーカートッサロットの時代には日本人町に比較的規模の大きい港が建設されている。その後、前述のようにアユタヤはタウングー王朝に対する防衛力を高めるため多くの武器を必要としていたので、刃物の生産で有名な堺からは多くの刀が輸出された。これらは、タイ風の刀や槍の先端に使われるなどして改造され流用された。17世紀初頭におけるアユタヤの武器の多くはむしろ国内生産の刀よりも日本製のものが多かったとも言われる。これらの刀の一部は現在でもバンコクの王宮武器博物館などで見ることが出来る。一方、日本はその豊富な銀を背景にアユタヤから陶器、皮革製品(主にシカ、サメなど)、キンマ塗りなどを買った。特に皮革製品のタイから日本への輸入量はずば抜けており、江戸初期のアユタヤから日本への皮革製品の数は20万枚以上にも昇った。 一方でこのような商業的発展は他国の商人を脅かすようになった。1620年代の日本人による貿易量は他の国からやって来た貿易商の合計よりもずば抜けて多かったともいわれる。この動きをもっとも懸念したのは華僑商人であった。また、他の国の貿易商も日本人によって自分のなわばりにこれ以上踏み込まれることを恐れて日本人の動きを華僑と同様に警戒した。
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