商人に人気となる江戸時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 22:33 UTC 版)
「伏見稲荷大社」の記事における「商人に人気となる江戸時代」の解説
戦国時代を経て江戸幕府を開いた徳川宗家は浄土宗に帰依し、幕僚として仕えた天海は天台宗の僧であり、稲荷神の崇敬は朝廷の他、専ら町人や商人によって行われた。特に活発となった商いの成功(結願)を祈る商人には人気があった。狐が棲む穴ぐらを見つけては稲荷神を勧請する者まで現れる。併せて、勧請された稲荷神社に「正一位」を冠するものが出てくるのもこの頃である。これは徳川家康が死後東照宮へ神格化されて正一位を追贈されたように朝廷が認める神格の最高格を意味し、奉行所から当社へ名の使用について問い合わせがあったことも記されている。そして結願の礼として本社に赤い鳥居を奉納する習慣が広まり、膨大な千本鳥居を形成するに至るのである。また、江戸時代には境内に愛染寺の他に浄土宗の浄安寺と西光寺も設けられ、神仏習合の色合いは濃かった。 現在伏見稲荷大社の楼門内に、江戸時代に社家から出た国学の大家・荷田春満の旧宅が保存されている。隣設して荷田春満を祭神とする東丸神社(あずままろじんじゃ)があるが、この神社は旧宅の一角に建てられているため、伏見稲荷大社の摂末社ではなく独立した神社である。1903年(明治36年)に規模の割に高い社格の府社に列し、学問の神として信仰されている。
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