呉允謙とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 呉允謙の意味・解説 

呉允謙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/13 15:15 UTC 版)

呉允謙
各種表記
ハングル 오윤겸
漢字 吳允謙
発音: オ・ユンギョム
ローマ字 O Yun-gyeom
テンプレートを表示

呉 允謙(オ・ユンギョム、1559年 - 1636年)は李氏朝鮮の文臣。は汝益、は楸灘、土塘、諡号は忠簡。本貫は海州呉氏

1597年に科挙に及第後、忠清道江原道観察使等を歴任した。元和3年(1617年)、朝鮮通信使の正使として、大坂の陣平定の祝賀などのために来日し、伏見城で将軍徳川秀忠と会見した。文禄・慶長の役の際にり日本に連行された捕虜の帰国問題などを話しあったが難航し、この体験を『東槎上日録』に著した。

朋党政治においては老論派に属し、仁祖反正の後は仁祖に重用され、司憲府大司憲や吏曹判書を務めた後、1626年に右議政、1627年に左議政、1628年に領議政に上った。

参考文献

  • 「講談社日本人名大辞典」講談社、2001年
  • 「朝鮮通信使がみた日本」姜在彦著、明石書店 2002年



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  呉允謙のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「呉允謙」の関連用語

呉允謙のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



呉允謙のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの呉允謙 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS