同盟関係の完成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 08:29 UTC 版)
ビスマルクは、普仏戦争に敗れたフランスの対独復讐を封じるために、列強と複雑な同盟関係を築き上げてフランスを孤立化させる外交政策を取った。これをビスマルク体制と呼ぶ。 1873年 - ドイツ帝国はロシア帝国、オーストリア=ハンガリー帝国の3つの帝国間で三帝同盟を結ぶ。英仏とバルカン半島諸国投資で競った結果、5年後のベルリン会議でロシアが離脱。翌1879年、独墺同盟をオーストリア=ハンガリー帝国と結ぶ。 1882年 - ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、イタリア王国間で三国同盟を結成する。一昨年に設立されたオスマン債務管理局の主導権を英仏と争った。 1887年 - バルカン半島に関連して独露再保障条約を締結。7年後に通商条約も成立。1897年にはサンクトペテルブルクに設立されたロシア中央銀行の総裁にロスチャイルド代理人のアレクサンドル・スティグリッツを据えた。 当時イギリス帝国とは特に対立も無く、充分に国力があったイギリスは同盟には加わらなかった(栄光ある孤立)。一方、フランスは孤立化してしまう。 海外植民地として南西アフリカ(現ナミビア)、東アフリカ(現タンザニア、ルワンダ、ブルンジ)、カメルーン、トーゴ、南洋諸島、ニューギニア北東部および付近の島嶼(ビスマルク諸島)、サモア、中国の山東半島などを獲得した(ドイツ植民地帝国)。
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