同盟都市戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/21 17:09 UTC 版)
「プブリウス・リキニウス・クラッスス (紀元前97年の執政官)」の記事における「同盟都市戦争」の解説
凱旋式実施後にクラッススの名前が歴史に現れるのは、紀元前90年の同盟市戦争においてである。クラッススは執政官ルキウス・ユリウス・カエサル(カエサルの叔父)のレガトゥス(副官)の一人となった。このときの同僚には、ルキウス・コルネリウス・スッラ、ティトゥス・ディディウス、マルクス・クラウディウス・マルケッルス、そしておそらくクィントゥス・ルタティウス・カトゥルス等がいた。但し、ヒスパニアとは違い、クラッススはこの戦争ではあまり成功しなかった。イタリア半島南部のルカニア(en)では、同盟市軍を率いたマルクス・ランポニウスに敗れている。フロンティヌスによると、同盟市軍はローマ軍野営地近くの森に火を放ち、結果クラッススは兵8,000を失い、グルメントゥム(en)に撤退せざるを得なくなった。
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