同族経営企業の草創期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/24 00:48 UTC 版)
「ワーグナー宝飾店 (ウィーン)」の記事における「同族経営企業の草創期」の解説
ワーグナー宝飾店の社名は創業者であるパウル・ワーグナーにちなむ。パウル・ワーグナーは20世紀の初めに、カールシュタイン・アン・デア・ターヤーにあるオーストリア・ハンガリー帝国時計技術専門学校で学び、マイスター試験に合格。1917年、パウル・ワーグナーは妻のルイーゼとともに、市中心部にほど近いWiedner Hauptstraßeに小さな店舗を開いた。開店から数年の間に、顧客の需要は従来型の懐中時計から近代的な腕時計へと変化。これによりワーグナーは大きな利益を上げた。ワーグナー宝飾店は、いつでもどこでも正確に時間を示すことができるよう、手仕事の品質を重視した。 1930年代、ワーグナーは店舗の拡張に尽力する。オーストリアがナチス・ドイツに併合された後、ウィーン市ケルントナー通りのとある店舗が、賃貸物件としてワーグナーに提供された。この店舗はもともとメトリンガー宝飾店のものであったが、メトリンガーは1938年に妻と共にパナマに移住。1939年9月、ワーグナーは財産流通局(Vermögensverkehrsstelle)より、店舗取得に必要な許可を得た。1945年4月、連合軍侵攻の直前、市中心部で略奪と深刻な破壊行為が発生し、ワーグナー宝飾店の店舗も被害を受けた。 第二次世界大戦終戦後の1949年、パウル・ワーグナーの娘のエルフリーデ・グマイナー・ワーグナーと息子のパウル・ワーグナー・ジュニアが、同族経営企業を受け継いだ。創業者であるパウル・ワーグナーは1949年に、その妻は1950年に死去。
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