吉野賛十とは? わかりやすく解説

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吉野賛十(よしの・さんじゅう)

本名永田東一郎1903年(明36)、東京生まれ。「麺麭」や「風土」などの詩雑誌同人でもあった。娘は第十児童文学協会新人賞受賞した童話作家日野多香子
東一郎名義で「新青年」に投稿し二度ほど入賞経験がある。
1930年(昭5)、「新青年増刊号に「ロオランサンの女の事件」が掲載される
1954年(昭29)、木々高太郎推薦得て、「探偵実話」に「鼻」を掲載
1956年(昭31)、河出書房刊行した探偵小説名作全集」の別巻として書き下ろし長編募集し、「黒死体事件」が三位入選。しかし、社業不振のため、中止となり、原稿失われてしまった。
1973年(昭48)、死去



吉野賛十

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/04 23:00 UTC 版)

(よしの さんじゅう、1903年1月25日 - 1973年10月15日)は日本の小説家。推理小説を多く残し、代表作に「鼻」などがある。別名義に(あずま いちろう)。本名は永田東一郎。童話作家の日野多香子は娘。

経歴

東京府(現・東京都)出身[1]早稲田大学商学部卒業後[1]、森永製菓の経理部に入社するも[1]、2年で退社する[1]。大学卒業後から北川冬彦主催の『麺麭』同人となり[1]、東一郎名義で純文学作品を発表する[1]。この頃の作品に、短編集『彼の小説の世界』などがある。

太平洋戦争後、疎開先だった山形で高校教諭を務め[1]木々高太郎に出会ったことをきっかけに、千葉県立千葉盲学校に勤務する。その後の半生を盲人教育に捧げながら、吉野賛十名義で推理小説を発表するようになる。この頃の作品には、盲人を話の中心に据えたものが多い。なお、ペンネームの由来は、この頃台東区吉野町30番地に住んでいたことによる。20編程度の短編を発表する[1]。木々の死後は推理小説界から離れ、1962年の「死体ゆずります」を最後に創作の筆は途絶えた[1]

1973年(昭和48年)10月15日に死去。70歳。

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i 吉野賛十探偵小説選 | 論創社”. 論創社 (2013年7月20日). 2022年10月28日閲覧。

関連項目

参考文献

  • 鮎川哲也『幻の探偵作家を求めて』晶文社 1985年


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