吉備大臣(きびのだいじん)入唐(にっとう)の事付殿上(てんじょう)にて碁をうつ事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 22:44 UTC 版)
「安倍晴明物語」の記事における「吉備大臣(きびのだいじん)入唐(にっとう)の事付殿上(てんじょう)にて碁をうつ事」の解説
(承前) 仲麿が唐に渡った翌年(霊亀3年)、吉備大臣(吉備真備)が遣唐使として唐に渡った。時の皇帝である玄宗は日本からの貢ぎ物が少ないことに腹を立て吉備公の処刑を命じるが、吉備公が才知に優れた者であった場合は日本へ送還すべしと申し添えた。これにより、吉備公は試されることとなる。 廷臣たちが課した第一の試練は、当時まだ日本に伝えられていない囲碁であった。碁を知らなければ処刑、鍛錬の程を見せれば助命と決まり、試合は翌朝とされた。一方、吉備公は何も知らず宿舎の楼閣で休んでいたが、そこへ赤鬼が現れる。赤鬼は「自分は遣唐使として遣わされた安倍仲麿である。二度日本へ帰ろうと願い出たが許されず、この地で死んだ。しかし望郷の念が凝り固まって霊魂は赤鬼となって彷徨っている」と語った。さらに仲麿は、玄宗皇帝の出した処刑命令のこと、囲碁の勝負で試されることを吉備公に伝え、「相手となる憲当という者が明日に備えて宿舎で囲碁を打つので、これを見せてやる」と言う。仲麿は囲碁のルールを教えた上で吉備公を背負って憲当の元に赴き、彼が碁を打っているところを密かに見せた。吉備公は即座に囲碁を理解し、翌朝行われた勝負は二番とも勝った。
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