各社時代劇の興亡とは? わかりやすく解説

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各社時代劇の興亡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 09:27 UTC 版)

時代劇」の記事における「各社時代劇の興亡」の解説

戦後の時代劇映画製作会社は、松竹東宝大映東映新東宝日活宝塚映画(東宝傍系会社)などである。 終戦直後東宝内紛労働争議分裂して1947年3月新東宝ができ、しばらくは製作は新東宝配給東宝形態がとられたが、やがて新東宝東宝配給断られたことから自主配給踏み切った。 その一方で戦前1938年設立され興行会社としてスタートした東横映画が、戦後1947年から映画製作進出して当時大映所有していた京都太秦大映第二撮影所(後の東映京都撮影所)を借りて製作活動入った東横映画自前配給網を持たないので当初大映配給する関係であったが、しかし大映傘下では経営成り立たないとして、大映配給を頼る下請け会社から脱却するため、東急グループ支援受けて自前配給会社東京映画配給1949年10月作った。しかし赤字増大し、そこで東急グループは同じ赤字太泉映画東横映画東京映画配給合併させて1951年(昭和26年)4月東映改称して、配給東宝委ねた。この当時東宝分裂騒動余波自前での製作能力無かったので、宝塚映画東京映画作品配給し、そこへ東映作品配給して、1951年頃は東映製作東宝配給という提携関係であった。しかしわずか1年東映東宝提携終了した東宝東映傘下収めようとしたことで東映反発したとされている。そして1950年朝鮮戦争勃発とともにGHQ方針大きく転換して時代劇の製作が可能となり、やがて東映自前配給網を確保し拡大するために、二本立て興行打ち立て、そこに東映娯楽版として中村錦之助東千代之介デビューさせて大人気となったことで一気業界トップ躍り出ることになった。 それは時代劇中心としたプログラムピクチャーによって、映画中心時代劇になった時代でもあった。

※この「各社時代劇の興亡」の解説は、「時代劇」の解説の一部です。
「各社時代劇の興亡」を含む「時代劇」の記事については、「時代劇」の概要を参照ください。

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