各地のスタンプ貨幣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 00:12 UTC 版)
1932年10月、ハワーデン (Hawarden, Iowa) が代用通貨を発行した。これは取引するたび3セントの印紙を貼るスタンプ貨幣であった。モデルとなった本来の自由貨幣は周期的なスタンピングで減価し流通を促進するものであった。しかしハワーデンの代用貨幣は長く保有しても減価しないので消費させる仕組みを欠いていた。それでもアメリカで発行されたスタンプ貨幣は、使うときまで減価しないハワーデン方式を踏襲することが多かった。実施は短期間であったが、無担保貨幣でも信用次第で流通することを証明した。本来の自由貨幣はロングアイランドのフリーポート (Freeport, New York) で失業対策委員会が3種類の通貨単位で5万ドル分を発行した。元来の自由貨幣を導入することはカンザス・アイオワの州議会でも検討され、法律も整備された。 1933年2月18日、アラバマ出身のバンクヘッド上院議員 (John H. Bankhead II) は、緊急のとき連邦政府も代用通貨の発行を認める法案を提出した。4日後インディアナ州の下院議員ピーテンヒル (Petenhill) も提出した。これらは実施されることがなかった。自由貨幣で年金基金を再建する計画もあったが (Ham and Eggs Movement)、州議会で否決された。本来の自由貨幣、支払うときだけスタンプが押される貨幣およびその他をふくむ緊急通貨を、アーヴィング・フィッシャーが理論的に支えていた。彼がディーン・アチソンに緊急通貨を後押しするよう打診した。しかしアチソンは地方分権につながることを危惧し、後述のルーズベルト大統領と協議した。1933年3月4日、ルーズベルトは緊急通貨を禁止した。
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