台風で改められた河川改修
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/05 07:42 UTC 版)
1947年(昭和22年)は、7月-8月に大規模な氾濫をもたらす集中豪雨があった後の9月にカスリーン台風が、さらに翌1948年(昭和23年)のアイオン台風に襲来するなど、北上川流域には2年連続で大規模な水害に見舞われ、一関市等では甚大な被害を受けた。宮城県でも低湿地帯の多い登米郡・栗原郡付近において被害は甚大だった。 内務省解体後河川事業を継承した建設省(現・国土交通省)は相次ぐ水害を受け従来の「北上川上流改修計画」の改訂を迫られた。この頃は全国各地で水害が頻発しており、経済復興の阻害になると考えた経済安定本部は諮問機関である「治水審査会」に諮り、利根川・信濃川・淀川等全国主要10水系を対象に、多目的ダムを中心とした総合的河川開発を推進した。これが『河川改定改修計画案』であるが、北上川水系においては上流と下流で別個の河川改定改修計画が立案された。上流部は旧計画を発展させた「北上川上流改定改修計画」であり、北上川5大ダムの建設予定地や規模を変更して一関市狐禅寺地点での洪水流量を更に低減させる事を目標とした。一方下流部では旧北上川最大の支流である江合川が対象になったが、新江合川を通して鳴瀬川とも関連している事から両河川を一体化した「江合川・鳴瀬川改定改修計画」が立案され、この中で江合川本川と鳴瀬川本川のダム計画が検討された。 一方宮城県土木部は迫川の総合開発を独自に進め、「第1次迫川総合開発事業」を実施した。その根幹として迫川本川に花山ダムを建設し、更に支流の自然湖である長沼の洪水調節池化や南谷地遊水地の整備等を盛り込み、更に江合川にも上流の鳴子峡地点にダム計画を立てた。
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