台湾工商銀行時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/02 07:11 UTC 版)
1945年、第二次世界大戦下、アメリカ軍の日本空襲にともない李延禧は日本で終戦を迎える。新しい政治状況下において、従来の台湾商工銀行は1947年台湾工商銀行と改組され(1949年更に台湾第一商業銀行と改名)、李延禧は戦後初代常任監察役となり、1946年帰台するが二・二八事件の勃発後、李延禧は台湾の政局に対し徐々に失望し、1947年末再び東京に戻る。1950年李延禧は蔣介石の中国国民党当局の迫害を受け反乱罪と宣告され、台湾における大部分の財産は没収され、以後社会的、経済的打撃により動脈硬化を患い長期病床に伏すことになる。1956年、李延禧の長男李泰然は父親を天津新華醫院に入院させる。1959年9月8日病死、享年76歳。
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