古・中・新、およびデモティックのエジプト語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 14:54 UTC 版)
「古代エジプト文学」の記事における「古・中・新、およびデモティックのエジプト語」の解説
筆記は紀元前4千年紀末には既に出現していたが、短い名前やラベルを書くのに使われていたのみであった。繋がりのある文章の房が出現するのは紀元前2600年、古王国の初期になってからであった。この進歩は、エジプト語の最初の知られている段階の始まりであった——古エジプト語(英語版)である。古エジプト語は紀元前2100年頃まで音声言語(話し言葉)であり続け、それから中王国の始まり頃に中エジプト語(英語版)へと進化した。中エジプト語が古エジプト語と近縁関係にあった一方で、新エジプト語は文法構造上で大きく異っていた。新エジプト語は早ければ紀元前1600年には地方語として出現していた可能性があるが、紀元前1300年頃の新王国のアマルナ時代になるまで書記言語としては用いられなかった。紀元前7世紀までには新エジプト語はデモティックへと進化し、デモティックは紀元5世紀まで音声言語として話され続けたが、紀元1世紀から徐々にコプト・エジプト語へと置き換えられていった。 ヒエラティックはヒエログリフと並んで古・中エジプト語の筆記に使われ、新エジプト語では主要な筆記法となった。新王国時代までには中エジプト語は通常はヒエログリフの読み書きにのみ使われる古典言語となった。新王国以降の古代エジプトの歴史(英語版)全体を通じ、中エジプト語は歴史記録、自伝的追悼文、宗教的讃歌、葬礼の呪文といったより高貴な形式の文学に用いられる音声言語であり続けた。しかしながら、中エジプト語で書かれた中王国の文学を後の時代にヒエラティックで書き直すことも行われた。
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