受賞辞退者
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1989年に作曲家・指揮者のレナード・バーンスタインが辞退した。伝えられるところによると、AIDSに関するショーへの連邦補助金が撤回されたことが理由。 1992年にミュージカルの作曲家・作詞家のスティーヴン・ソンドハイムが辞退。NEAが「政治的な内輪もめの犠牲者になっており、奨励や支援ではなく検閲と抑圧のシンボルに急速になりつつある」と信じていることが理由。 1997年に詩人のアドリエンヌ・リッチが辞退。芸術とビル・クリントン政権(英語版)の「冷笑的な政治」との間の「矛盾」に対する抗議が理由。
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受賞辞退者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 23:54 UTC 版)
黒澤明 第4回(1981年(昭和56年))、『影武者』での優秀賞受賞を「権威のない賞は認められない」(表向きの理由は「スケジュールの都合」)として辞退し、同作品の出演俳優やスタッフもその意向を尊重して全員ノミネートを辞退した。授賞式司会の山城新伍はその対応を「すでに権威がある賞は受け取るくせに、これから映画人が育てていこうとしている賞は『権威が無いからいらない』なんて言う人物が受賞しなくてよかった」と批判した。 高倉健 第25回(2002年(平成14年))、『ホタル』での優秀主演男優賞を「後輩の俳優に道を譲りたい」として辞退。 木村拓哉 第30回(2007年(平成19年))、『武士の一分』にて「優秀賞のほかの皆さんと最優秀賞を競わせたくない」とのジャニーズ事務所の意向により、優秀主演男優賞を辞退。
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