収用委員会に対するテロ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 10:15 UTC 版)
「成田空港問題」の記事における「収用委員会に対するテロ」の解説
第四インター派メンバー襲撃事件を契機に加速し、新左翼は一般人をターゲットとしたテロ攻撃を起こすことになった。1985年(昭和60年)10月20日には千葉県成田市の三里塚交差点で空港反対同盟(北原派)支援の新左翼党派と警視庁機動隊が衝突した事件が発生(10.20成田現地闘争)。 1988年(昭和63年)9月21日には、千葉市内の路上で、当時千葉県収用委員会会長だった弁護士の小川彰が、フルフェイスヘルメットを被った数人に襲撃される(千葉県収用委員会会長襲撃事件)。全身を鉄パイプで殴られて両足と左腕を骨折するという重傷を負った小川は、重い後遺症に苦しみ、2003年(平成15年)2月に入水自殺する。このテロについて中核派は犯行声明を出し、他の収用委員らに対しても組織的に脅迫状、脅迫電話などを送り続けた。これにより収用委員全員が辞任し、千葉県収用委員会は2004年(平成16年)に再始動するまでの16年間、完全に機能停止に追い込まれた。
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