反省と転換
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/12 03:07 UTC 版)
こうした状況に対する批判から、資格または試験による成績に基づいた公職任命を行おうとするメリット・システム(資格任用制)の導入を求める動きが高まった。1870年にイギリスにおいて公務員の試験による任用制度が確立され、1881年にはアメリカでも公務員制度改革連盟が結成されて運動が行われた結果、1883年には連邦公務員法が制定されて公職に対する政治的任用が制限されるに至った。ただ、「公職交代制」は特に州政府で民主的な慣行として行われ続ける。 だが、行政の専門化は官僚主導の政治運営の危惧を増大させるなどの弊害があり、政治的任命による選挙を通じた行政の監督と公務員任命及び行政運営の公正さの確保とのバランスを取ることが政治的課題として常に内在していると言える。 アメリカでは1967年に大統領の家族にある近親者が政府の要職に就くことを禁じる「反縁故法」が制定された。 なお、日本においては第二次世界大戦前には内務省及び同省が任命した府県知事や警察署長が警察を用いた公然・非公然の選挙干渉をしばしば行った。そのために、日本でも政党政治が行われると、「政治の粛正」を大義名分として文官分限令第11条にあった「任命権者による行政運営上の都合に基づく休職」規定を発動して内務省を中心に省幹部や知事などの休職・転任が政権政党交代ごとに行われて、自党系の府県知事や警察幹部などが配置された。このため、内務省ほか各省内部に政党と結びついた一種の派閥が形成されることとなった。これらは「党弊」として内務官僚のみならず地方議会や一般の国民世論からの批判も浴びて、後に政党による行政支配に反対する革新官僚の台頭を促すきっかけとなった。
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