印刷技術の発明者をめぐって
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 09:58 UTC 版)
「ヨハネス・グーテンベルク」の記事における「印刷技術の発明者をめぐって」の解説
グーテンベルクの生存中のもので彼の名前に言及した資料はまだ見つかっていない。彼の名前が印刷技術と結びついて初めて現れるのは1472年の書簡でソルボンヌ大学教授ギョーム・フィシェ (Guillaume Fichet) がロベール・ガギャン(Robert Gaugin)に宛てた個人的なものであった。そこには「マインツ市の近くに住むBuonemontano(ラテン語で「良き山」の意味でグーテンベルクという言葉をラテン語にしたもの)という姓を持つヨハンなる男が印刷術を発明した」とある。 1499年に印刷された『ケルン年代記』(Cronica van der hilliger Stat Coellen)は「印刷術はマインツで発明され、1444年頃ケルンに伝えられた。印刷術の発明者はヨハン・グーテンベルクと呼ばれた」と書いているが、同時に「印刷技術の原型はオランダからドイツに伝えられた」とも書いていることから、一時期印刷技術はオランダから始まったという説がさかんに唱えられた(ただし、この本では後述するコスターの名は出てこない)。グーテンベルクは印刷事業では成功しなかったことから彼の名前が忘れられ、ヨハン・フストとペーター・シェッファーが印刷術の創始者と考えられたこともあったが、シェッファーの息子ヨハンは自ら印刷したリウィウスの『ローマ史』に献呈の辞として印刷術の発明者はシェッファーではなくグーテンベルクであることを明記している。 印刷技術の発明者が誰であるかということをめぐってはさまざまな説が流布してきた。特に16世紀から18世紀までに書かれた多くの「歴史書」は歴史的真実よりも自国のプライドや著者の主張が優先されることが多かったため、研究者の視点から見ればお粗末なものであっても、印刷術の発明者をめぐる問題を混乱させることになった。 たとえば1568年に出たオランダのハールレムの医師アドリアン・ユニウス(英語版)の著作『オランダ年代記』(Batavia)は、グーテンベルクの活版印刷術はもともとオランダ人ラウレンス・コスター(英語版)が1442年に発明したものであり、マインツのヨハン・ファウストス(グーテンベルクとフストの名前が混合したもの)なる人物がコスターからその技術を盗み出したと記した。この記述からある時期、オランダが活版印刷発明の地であると信じられたこともあったが、コスターによる最古の印刷物といわれるものが1460年代以降のものであることが科学的に証明されたため現在ではこの説は受け入れられていない。 他にも多くの印刷物が「グーテンベルクより古い」と主張されてきたが、どれもグーテンベルクの印刷事業より古いものだという証拠が示されるには至っていない。
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