千葉 修作(ちば しゅうさく):背番号7、外野手(主に左翼手)、左投げ左打ち
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高校時代、当時、新入生だった深松久美子に一目惚れし、執拗に交際を迫る。しつこさに呆れた久美子に「試合の全打席でホームランを打てばつき合う」と言われ(当初、久美子は実現不可能だろうと思っていた)、猛練習を重ねて実現。交際を始め、久美子の卒業を待って結婚した。高校時代は、女生徒を前にすると快打を放つなど、練習嫌いでスケベと満太郎や猿山、当時の副将が証言する一方、主将を務めるなど、ある程度の人望はあった模様。一見するとパイレーツで最もまともな選手で、打撃10傑常連のチーム一のスラッガーに見えるが、異常なほどの愛妻家で、守備の時には、バックネット裏にいる奥さんを双眼鏡で注視し守備は行わない、ファウルボールが奥さんの近くに落ちたり、審判がグラウンドボーイにボールを要求するために振り返ったのを、バックネット裏にいる久美子に色目を使っただろうと激昂して暴行するため、一平曰くパイレーツで最多の退場回数を誇るが、連載中、チームでほぼ、毎回のように退場シーンが描かれる犬井とは対照的に退場処分を受けるシーンは主に、連載初期、夫人の妊娠が判明する直前までである。息子(修介)が生まれると「オレ以外の男を抱くとは」と嫉妬し、生後間もない修介に「ドスを取れ」と投げ渡して本気で決闘しようとするほどだが、息子も他人に「父親似」と指摘されると噛みつくなど、次第に対抗意識を持つようになる。連載後半では口ヒゲを生やすと共に、妻離れが出来たのか、守備も普通に行うようになっている。身長180cm・体重78kg。昭和28年5月1日生まれ。名前のモデルは北辰一刀流の創始者、千葉周作。
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