千葉都市モノレール開通以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 15:53 UTC 版)
「ちばフラワーバス」の記事における「千葉都市モノレール開通以前」の解説
終戦を経て、『京成電鉄五十五年史』によれば、1960年(昭和35年)に成東営業所新設とある。1943年に設置されたにも関わらず、17年後に再び設置されていることから、第二次世界大戦の影響で初代の成東営業所をいったん千葉営業所に統合したと推測される。 戦後は成東町内と八街市内の路線の充実に努め、後述する各線の他に多数の路線の新設を行った。これとは別に千葉駅 - 蓮沼海岸を直通する急行バスなども新設され、非電化で運行本数も少なかった国鉄総武本線よりも優位に立っていた。 詳細は「ちばグリーンバス#戦後の路線の拡張」を参照 しかし、1960年代から1970年代を境にこの営業所も輸送量のピークを迎えることとなった。1974年(昭和49年)の総武線銚子電化、東京直通の特急『しおさい』の設定などで国鉄千葉(現・JR東日本千葉支社)が反攻に出ると、総武本線との並行区間が多い八日市場線や、他線に比べて線形の劣る松尾線、下横地線などが次々と廃止され、前・京成千葉駅 - (町方又は吉倉) - 八街駅 - 成東駅を通しで運行していた八街線と新八街線が八街駅で分割された。 「総武本線#戦後の改良」および「しおさい (列車)#「しおさい」の登場まで」も参照 そして1987年(昭和62年)2月26日、成東発の主幹路線だった蓮沼線と小松線を統合、同時に蓮沼方面の特急バス(国道126号線経由)を廃止し、千葉東金道路を経由して成東駅に至る東金特急線(フラワーライナー)の新設という根本的なダイヤ改正が行われ、東金線以外は必要最小限度の運行本数に抑えられた。さらに1991年(平成3年)6月12日、千葉都市モノレールが千葉駅まで乗り入れを開始すると、八街線と新八街線はそれぞれモノレールの駅である都賀駅や千城台駅を発着するよう短縮された。この際に当時千葉営業所担当だった宮田線も千城台駅発着となっている。
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