十字架の発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/14 16:31 UTC 版)
亜使徒聖大帝コンスタンティン(コンスタンティヌス1世)の母である聖太后エレナ(母太后ヘレナ)はかねてよりハリストス教徒であったが、皇帝であり息子であるコンスタンティンがハリストス教を受ける決意を示した事に深く感動した。この親子は使徒と同様の働きを宣教にあたって果たした事を評価され、亜使徒の称号が奉られている。 太后エレナは救世主イイスス・ハリストスが釘うたれた十字架を探し出そうと願い、総主教マカリイとともに長い間十字架を探した。 年老いた一人のユダヤ人の案内で、ゴルゴファ(ゴルゴタの丘)と呼ばれた場所が判明し、そこにあった異教の祠を壊して地中を掘ると、三つの十字架が現れた。326年3月19日の事だったという。この三つの十字架のうち、一つは救世主イイスス・ハリストスが掛けられたものであり、他の二つは盗賊が掛けられたものと推定されたが(福音書に、イイススの左右に盗賊が十字架に掛けられたとの記述がある)、どれが救世主の十字架であるのか判らなかった。 たまたま死者を葬るためにゴルゴファの傍らを通り過ぎる者がいた。総主教は彼をとどめて、死者の棺の上に三つの十字架を持って来させた。救世主の十字架が死者に触れると死者は直ちに復活し、病気の女に触れると直ちに全快したという。人々は大いに喜んでこの十字架を拝んだ。 あまりに多くの人々がここに押し寄せたので、総主教は皆がこの十字架を拝む事が出来るように十字架を高く掲げた(この時の情景がイコンに描かれる)。人々は皆、伏拝(ふくはい)し、感動して「主憐れめよ」と叫んだ。 太后エレナは十字架が発見された場所に救世主の復活を記憶する聖堂を建設し、十字架を安置した。エレナはその一部を採り、救世主の宝血の染みた釘とともにコンスタンティノーポリに持ち帰った。後代、その一部はロシアにももたらされている。
※この「十字架の発見」の解説は、「十字架挙栄祭」の解説の一部です。
「十字架の発見」を含む「十字架挙栄祭」の記事については、「十字架挙栄祭」の概要を参照ください。
- 十字架の発見のページへのリンク