十勝時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 16:58 UTC 版)
十勝地方は、北海道の中でも最後に開拓が始まった地域で、入植が公式に許可されるようになるのは1896年(明治29年)からである。十勝種馬牧場は1911年(明治44年)に開業したが、当時の十勝地方はまだ開拓の真っ最中で、立木の伐採、抜根、搬出、土地の耕作などに馬の需要が高く、特に馬力があって頑健な重種が好まれた。 一方、当時の陸軍の基本方針として、純粋なサラブレッドは脆弱に過ぎるとして生産は不推奨だった。むしろサラブレッドを適度に他品種と交雑することで、サラブレッドの長所に頑健さを加える事ができると考えられていた。当時の農家が軍部の方針に盲従したというわけではないが、実際のところ当時の十勝地方には純粋なサラブレッド牝馬は数えるほどしかいなかったし、イボアもこうした洋雑種(日本在来種に西洋産のウマを交雑したもの。西洋から輸入したものの血統不詳のウマは「洋種」である。)の牝馬と交配されることがほとんどだった。 当時、種牡馬の優秀さの指標は、産駒の出生率、産駒の馬格(体の大きさ)などが重視された。特に優秀なもの品評会に出陳され、種馬となった。競馬に用いられるのはどちらかと言えば二流馬だった。この頃すでに十勝地方でも、帯広、音更、池田などで盛んに競馬が行われた。イボアの産駒は各地の品評会で高い評価を得る一方、内地の競馬に出るものが現れた。クモイ、ハッピーデース、セントオーグスチンなどがこれにあたる。
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