区域・町名の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 18:17 UTC 版)
1869年(明治2年)5月江戸町名改正により新両替町と三十間堀西側等を合わせて銀座一丁目から銀座四丁目が起立。 当時の銀座一丁目から銀座三丁目は、東西南北をそれぞれ現在の三原通り、観世通り、松屋通り、桜通り(東京高速道路)に囲まれた四角形、銀座四丁目は、東西南北をそれぞれ現在のあづま通り、観世通り、晴海通り、松屋通りに囲まれた四角形に当たる。 1930年(昭和5年)3月4日区画整理により現在の晴海通り北側の4町域を銀座一丁目から銀座四丁目に編入。また、現在の晴海通り南側の9町域を統合して銀座五丁目から銀座八丁目とし、同時にこれら「銀座」地区と外堀に挟まれた18町域を統合して銀座西一丁目から銀座西八丁目とした。 この時点での銀座一丁目から銀座四丁目は、東西南北をそれぞれ現在の三原通り、西五番街、晴海通り、桜通りに囲まれた四角形に当たる。また、当時の銀座五丁目から銀座八丁目は、東西南北をそれぞれ現在の三原通り、西五番街、御門通り、晴海通りに囲まれた四角形に当たる。「銀座西」は「銀座」と西側にある外堀に囲まれた地域。 1951年(昭和26年)8月1日三十間堀川の埋め立てにより木挽町と陸続きになることから、この木挽町一丁目を銀座東一丁目(銀座東二丁目から銀座東八丁目も同様)と改名した(埋め立ては1952年7月に完了した)。 1968年(昭和43年)10月1日住居表示実施により、銀座西一丁目と銀座一丁目を統合し、これを改めて銀座一丁目(銀座二丁目から銀座八丁目も同様)として銀座西が消滅(ただし東京高速道路下にある店舗などは未だに何区に帰属するか確定していないため、暫定的に「中央区銀座西◎丁目地先」と名乗っている)。 1969年(昭和44年)4月1日住居表示実施済みの銀座一丁目に未実施の銀座東一丁目を編入し、これを改めて銀座一丁目(銀座二丁目から銀座八丁目も同様)として銀座東が消滅。 実施後実施年月日実施前(特記なければ各町名ともその全域)銀座一丁目 1968年10月1日 銀座西一丁目、銀座一丁目 1969年4月1日 銀座一丁目、銀座東一丁目 銀座二丁目 1968年10月1日 銀座西二丁目、銀座二丁目 1969年4月1日 銀座二丁目、銀座東二丁目 銀座三丁目 1968年10月1日 銀座三丁目、銀座西三丁目の一部 1969年4月1日 銀座三丁目、銀座東三丁目 銀座四丁目 1968年10月1日 銀座西四丁目、銀座四丁目、銀座西三丁目の一部 1969年4月1日 銀座四丁目、銀座東四丁目 銀座五丁目 1968年10月1日 銀座西五丁目、銀座五丁目 1969年4月1日 銀座五丁目、銀座東五丁目 銀座六丁目 1968年10月1日 銀座西六丁目、銀座六丁目 1969年4月1日 銀座六丁目、銀座東六丁目 銀座七丁目 1968年10月1日 銀座西七丁目、銀座七丁目 1969年4月1日 銀座七丁目、銀座東七丁目 銀座八丁目 1968年10月1日 銀座西八丁目、銀座八丁目 1969年4月1日 銀座八丁目、銀座東八丁目
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