北館神社とは? わかりやすく解説

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北館神社

読み方:キタダテジンジャ(kitadatejinja)

教団 神社本庁

所在 山形県東田川郡立川町

祭神 北館大学助利長

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

北舘神社

(北館神社 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/26 15:12 UTC 版)

北舘神社

拝殿
所在地 山形県東田川郡庄内町狩川字笠山400
位置 北緯38度47分11.9秒 東経139度58分31.6秒 / 北緯38.786639度 東経139.975444度 / 38.786639; 139.975444 (北舘神社)座標: 北緯38度47分11.9秒 東経139度58分31.6秒 / 北緯38.786639度 東経139.975444度 / 38.786639; 139.975444 (北舘神社)
主祭神 北舘大学助利長公
社格郷社別表神社
創建 安永7年(1778年
別名 大学様
例祭 5月1日
地図
北舘神社
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北舘神社(きただてじんじゃ)は、山形県東田川郡庄内町にある神社である。山形藩最上家家臣の北楯大学助利長を祭神とし、大学様と通称される。

概要

北舘大学助利長は慶長6年(1601年)に楯山城主となり、庄内平野東部一帯の灌漑を計画、慶長17年(1616年)に灌漑水路を完成させた。この用水路は「北舘大堰」と呼ばれ、現在でも庄内平野東部の重要な水路となっている。利長が歿した寛永2年(1625年)の153年後の安永7年(1778年)、この水路の恩恵に与る住民たちが、利長の功績を賛えて狩川八幡宮の境内に利長を祀る祠を設け、「北舘水神社」と称した。大正8年(1919年)、社殿を楯山城跡に遷して独立の神社となり、「北舘神社」に改称した。大正11年(1922年)に郷社に列し、昭和36年(1961年)に神社本庁別表神社となった。昭和48年(1973年)現在地の笠山に新社殿を造営し遷座した。

昭和36年竣工の海上自衛隊護衛艦もがみ」には、当社の分霊が守護神として祀られていた。

脚注

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