北京近代科学図書館
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1936年9月に発足し、正式開館は1936年12月。当初は日本の最新の自然科学および産業に関する和書籍を広く中国市民に閲覧・公開することを目的としたが、館長代理を委嘱された外務省留学生の山室三良の意見により、自然科学を中心としつつも日本語の学習を志す市民のためにより広く日本の文化全般を紹介する図書館として運営された。1937年以降、PR誌として日中双方の学者・著名人の論説を集めた『館刊』(中国文)を刊行し、日本語講習会を開講した。しかしその後戦局の激化にともない予算が削減され、これに抗議した山室は懲罰として兵役に現地召集されたため、図書館の機能は事実上停止した。当時においては中国でも最大規模の日本語図書館であったとされる。
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