北京興亜学院時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/28 23:32 UTC 版)
1939年12月1日: 北京興亜学院と改称。 1940年初頭: 北京同学会の財団法人化認可。 1940年3月: 第1回卒業 (語学校時代の入学者)。 1940年4月: 学則制定。本科3年制 (主要学科目は皇民科・支那学・支那経済・商業実務・支那語)・別科 (支那語コース。各半年制: 初級班・中級班・高級班・補習班)。 語学から経済学・商学に比重が移された。 1941年12月23日: 勅令第1199号で専門学校認可。 1941年12月29日: 第3回卒業 (3ヶ月繰上卒業)。 1942年9月5日: 第4回卒業 (6ヶ月繰上卒業)。 1943年2月: 逍遙歌発表。 『朔風砂塵を吹きまきて』 (中島八太郎 作詞、長瀬重男 作曲)。 1943年11月1日: 北京同学会から東亜同文会に移管。北京同学会は東亜同文会に吸収された。 1944年4月: 北京・西城宣武門内絨線胡同に移転。小羊毛胡同の旧校地は寮となる。
※この「北京興亜学院時代」の解説は、「北京興亜学院」の解説の一部です。
「北京興亜学院時代」を含む「北京興亜学院」の記事については、「北京興亜学院」の概要を参照ください。
- 北京興亜学院時代のページへのリンク