加藤大治郎の死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/09 23:54 UTC 版)
「2003年の日本グランプリ (ロードレース)」の記事における「加藤大治郎の死」の解説
11番グリッドから好スタートを決めた加藤大治郎は6位にまでポジションを上げ、4位争いの集団バトルに加わっていた。しかし3周目の130Rの立ち上がりで、マシンのコントロールを失う。体勢を立て直そうとしたが、マシンは「ウィーブモード」と呼ばれる激しい振動状態に陥ってしまう。操縦不能のまま左方向にコースアウトし、約150km/hでタイヤバリアに接触。約16.5度という浅い角度だったためほとんど速度は落ちず、タイヤバリアが途切れた約120cmの隙間の先にあったスポンジバリアに約140km/hで頭から突っ込んでしまう。このときに頸椎を損傷した大治郎の意識は戻らないまま、4月20日午前0時42分、収容先の三重県立総合医療センターにおいて脳幹梗塞により息を引き取った。 この事故発生を受けて、ライダー達からはコース外のセーフティーエリアの狭さを指摘され、サーキットの危険性を改善するよう要求が出された。サーキットの運営母体であるホンダは、翌年までにコース改修することが困難であるとして、9月19日に鈴鹿での開催中止を発表した。予定では2005年からの再開を目標としていたが、結局日本GPの開催地はツインリンクもてぎに固定化されることとなり、現在のところ鈴鹿でのGP開催は2003年が最後となっている。
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