劉予とは? わかりやすく解説

劉予

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/17 14:42 UTC 版)

劉豫
皇帝
王朝
在位期間 天会8年9月9日 - 阜昌8年11月18日
1130年10月12日 - 1138年1月1日
都城 大名府→汴京(開封府)
姓・諱 劉豫
彦遊
生年 熙寧6年(1073年
没年 皇統6年9月11日[1]
1146年10月18日
劉宣
翟氏
后妃 銭氏
年号 天会 : 1130年
阜昌 : 1130年 - 1137年

劉 豫(りゅう よ)は、中国北宋末の官僚金朝傀儡国家である(劉斉)の皇帝は彦遊。

略歴

永静軍阜城県の農民出身。元符3年(1100年)に進士に及第し、宋朝に官僚として仕えた。靖康元年(1126年)、靖康の変により宋は女真族の金軍によって都の開封を制圧され、滅亡する。劉豫は済南府知府に任命され、済南府を守備したが、建炎2年(1128年)に金軍の侵入に対し、降伏する。

当時、金朝は山東河南方面に広く軍事行動を展開していたが、旧北宋支配下の漢族を直接統治する自信がなく、靖康2年(1127年)に北宋の宰相であった張邦昌を皇帝として、金朝の傀儡国家としての「大楚」を建て、旧北宋の支配地域の間接統治にあたらせようとした。しかし、張邦昌は北宋の最後の皇帝欽宗の弟の趙構(高宗)を皇帝として宋(南宋)を再興することに協力し、後に殺された。

そこで金朝は建炎3年(1129年)3月、劉豫を東平府へ移し、京東西淮南等路安撫使に任じて大名府開州徳州濮州浜州博州棣州滄州などを治めさせた。建炎4年(1130年)7月、粘没喝(完顔宗翰)の画策により、劉豫を皇帝として傀儡国家を建てることとなり、国号を「斉」、都を大名府とした。劉豫は9月9日に皇帝として即位したが、年号は金朝の正朔を奉じ、天会8年とした。百官を定めた後に東平府に移り、生母の翟氏を皇太后、側室の銭氏[2]皇后となした。11月には阜昌元年と改元し、子の劉麟を尚書左丞・諸路兵馬大総管とする。阜昌3年(1132年)にはさらに陝西も封土に加えられ、都を汴京(開封府)に移す。尚書省六部を設け、徴兵を行い、十分の一税を施行、法律を定め銭の鋳造や交鈔の発行、各地に横行する匪賊の類いを丸ごと抱えこむ、科挙以外の官吏登用ルートを創設するなど意欲的な政策を行ったため、南宋から斉に赴き仕えたという例も出た。

金朝の元帥府使蕭慶が汴京に赴き、劉豫と南宋攻略の相談をした際には、劉豫は宋軍の内情を詳らかに報告したり、宋軍の将軍の内応を図るなどの工作を行うが、劉豫・劉麟父子は実戦面では全く活躍できず、かえって人心を失い、次第に金・宋戦争は膠着状態に陥ったため、金は劉豫の存在価値を低くみるようになっていった。そこへ阜昌8年(1137年)に劉豫の後ろ盾であった粘没喝が失脚したことで、斉不要論が圧倒した。同年、斉はわずか8年で廃止されることとなった。

劉豫は蜀王に格下げされ、後に臨潢府に移される。皇統3年(1143年)、曹王に封ぜられた。皇統6年(1146年)に没した。

なお、斉の領土は、いったん金朝の支配下に入り、天眷2年(1139年)に南宋に返還されたが、皇統2年(1142年)の紹興の和議で再び正式に金朝領に組み入れられた。

脚注

  1. ^ 『金史』巻4, 熙宗紀 皇統六年九月戊寅条による。
  2. ^ 趙金奴(宋の栄徳帝姫、欽宗の妹で高宗の姉)の侍女。礼法に習熟していた。靖康の変後、劉豫に与えられた。

参考文献

伝記史料

  • 宋史』巻475 列伝第二百三十四 叛臣上 劉豫伝
  • 金史』巻77 列伝第十五 劉豫伝

関連項目


劉豫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 23:41 UTC 版)

大水滸シリーズの登場人物」の記事における「劉豫」の解説

楊令伝)金により担ぎ上げられた斉の皇帝民政手腕策謀長け軍事力を擁さないまま山東掌握していた。そこを眼を着けられ、撻懶粘罕暗闘経た後に斉の皇帝就任した史実でも同様に傀儡国家斉の皇帝で、積極的な社会安定策や政策多数実施し中原社会安定大きく貢献したが、戦においてはあまり力を発揮出来なかった。

※この「劉豫」の解説は、「大水滸シリーズの登場人物」の解説の一部です。
「劉豫」を含む「大水滸シリーズの登場人物」の記事については、「大水滸シリーズの登場人物」の概要を参照ください。

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