初期の理論的研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 19:13 UTC 版)
現在「褐色矮星」(brown dwarfs) と呼ばれている天体の存在は、1960年代に Shiv S. Kumar によって理論的に予測された。また1963年には林忠四郎と中野武宣によって、0.08太陽質量よりも軽い星は水素核融合を起こさず、高い電子縮退状態に向けて収縮することを発見した。このような天体は当初は「黒色矮星」(black dwarf) と呼ばれており、水素の核融合を維持できるほどの質量を持たず、宇宙空間を浮遊している暗い亜恒星天体を指す分類であった。しかし、黒色矮星という名前は冷たい白色矮星を指す用語として既に使用されており、赤色矮星は水素燃焼を起こすこと、また褐色矮星はその一生の初期段階では可視光線の波長で明るくなる可能性があると考えられた。そのため、これらの天体を指す名称としてプラネターや substar などを含む代替の名前が提案された。1975年にジル・ターター(英語版) が近似的な色として "brown" を用い、"brown dwarfs" という名称で呼ぶことを提案した。この brown は実際の色そのものを示しているのではない。 黒色矮星という名称はその後も、一定量の光を放射しなくなる段階まで冷却が進んだ白色矮星を指す言葉として使用され続けている。しかし最も軽い部類の白色矮星であっても、その温度にまで冷却するには現在の宇宙の年齢よりも長い時間が必要だと計算されている。そのため、このような天体はまだ存在しないと考えられている。 最も低質量の恒星の性質および水素燃焼の限界となる質量に関する理論研究では、0.07太陽質量よりも軽い種族Iの星と0.09太陽質量より軽い種族IIの星は通常の恒星のような進化は辿らず、完全に縮退した星になると考えられた。水素燃焼を起こす最小質量の初めての自己整合的な計算が1963年に林忠四郎と中野武宣によって行われ、種族Iの天体の場合は水素の核融合を起こすことが出来る質量の下限は 0.07-0.08 太陽質量の間であることが確認された。
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