初期および『スプリング・セッションM』(1980年–1983年)
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「ミッシング・パーソンズ」の記事における「初期および『スプリング・セッションM』(1980年–1983年)」の解説
1980年、バンドはテリー・ボジオ、デイル・ボジオ、ウォーレン・ククルロからなるトリオであった。セッション・ミュージシャンによって補強されていたこのグループは、ザッパの新しいユーティリティ・マフィン・リサーチ・キッチン・スタジオで、最初のレコードである『行方不明者 (ミッシング・パーソンズ)』というタイトルの4曲入りEPを作成した。レコーディングはククルロの父親によって資金提供された。バンドはツアーを行い、EPを宣伝し、映画『女子大生課外授業/恋のランチワゴン (Lunch Wagon)』(1981年)に出演し、ロサンゼルスのライブ・ミュージック・ファンたちの間で必見のバンドとなっていった。シングル「Mental Hopscotch」は地元のラジオ局KROQ-FMで1位を記録し、自分たちで宣伝したEPは7,000枚を売り上げた。 2年間の懸命な努力により、1982年にキャピトル・レコードと契約を交わした。レーベルのサポートによって再リリースされた4曲のEPは、ドアーズのカバー「Hello, I Love You」の代わりに「おしゃべり・ワーズ! (Words)」を収録してさらに25万枚を売り上げた。この時までに、バンドはチャック・ワイルド(デビューEPのセッション・プレイヤー)とパトリック・オハーン(元フランク・ザッパ・バンドでテリー・ボジオのバンドメイト)をラインナップに加え、彼らは新しいフル・アルバム『スプリング・セッションM』(1982年)をレコーディングした。「Spring Session M」というタイトルは「Missing Persons」のアナグラムであった。アルバムには「おしゃべり・ワーズ!」と「失われた未来 (Destination Unknown)」の両EPが含まれ、ゴールドディスクとなった。 『スプリング・セッションM』は「失われた未来」「おしゃべり・ワーズ!」「Walking in L.A.」「Windows」という4枚をシングル・カットした。これらはすべてBillboard Hot 100に入ったが、42位を超えるチャートインはなかった。バンドはロサンゼルス、ニューヨーク、サンフランシスコのローカル・マーケットでかなりの成功を収めた。また「おしゃべり・ワーズ!」のミュージック・ビデオで使用されていた視覚効果は、当時としては珍しく、ケーブルテレビの新進チャンネルであったMTVで人気を博した。 ミッシング・パーソンズは、1983年にUSフェスティバルとして知られる南カリフォルニアにおける3日間のコンサートに、デヴィッド・ボウイ、プリテンダーズ、U2、スティーヴィー・ニックスとともに出演した。
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