初めて任命された按察使
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奈良時代初頭の養老3年(719年)7月13日に以下の11名の国司が初めて按察使に任命された(『続日本紀』)。 門部王(伊勢守、従五位上)は伊賀国・志摩国の2国を管する。 大伴山守(遠江守、正五位上)は駿河国・伊豆国・甲斐国の3国を管する。 藤原宇合(常陸守、正五位上)は安房国・上総国・下総国の3国を管する。 笠麻呂(美濃守、従四位上)は尾張国・三河国・信濃国の3国を管する。 多治比縣守(武蔵守、正四位下)は相模国・上野国・下野国の3国を管する。 多治比広成(越前守、正五位下)は能登国・越中国・越後国の3国を管する。 小野馬養(丹波守、正五位下)は丹後国・但馬国・因幡国の3国を管する。 息長臣足(出雲守、従五位下)は伯耆国・石見国の2国を管する。 鴨吉備麻呂(播磨守、従四位下)は備前国・美作国・備中国・淡路国の4国を管する。 高安王(伊予守、従五位上)は阿波国・讃岐国・土佐国の3国を管する。 大伴宿奈麻呂(備後守、正五位下)は安芸国・周防国の2国を管する。 管轄地域を巡回し治安維持することが按察使の主務であったため賊等の矛先が向けられることもあり、養老4年(720年)夏には陸奥国按察使の上毛野広人が殺害される事件が発生、朝廷はただちに、東国である相模国・上野国及び下野国の按察使を歴任し、武蔵国守の経験があった播磨国按察使の多治比縣守を持節征夷将軍に任じて下毛野石代を副将軍に、また阿倍駿河を持節鎮狄将軍に据えてこれを鎮圧した。
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