分岐ルート・他の交易路との接続
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/15 16:59 UTC 版)
「ヴァリャーグからギリシアへの道」の記事における「分岐ルート・他の交易路との接続」の解説
上記のルートに加え、複数の分岐路があった。たとえばルーシ北部には、ポロツクを通り、ダウガヴァ川を下ってバルト海へ直接出る最短の航路があった。また、ドルツィ川まで陸路を採り、そしてドニエプル沿いに黒海へ出る方法もあった。このルートの存在は、スモレンスクの西12kmにある居住地域跡の二つのクルガンから証明することができる。この地のクルガンのうちNo.38とNo.47は、スカンディナヴィアとバルトの文化の影響を確実に受けている。 黒海にもまた分岐路があった。クリミア半島の付根のペレコープ地峡を越えてアゾフ海へと向かうルートである。かつてペレコープ地峡を横切る古代の運河があったが、時と共に運河は砂礫で埋まり、深い森へと変わったという。アゾフ海からはドン川を遡り、その後ドン川左岸の支流のイローヴリャ川に沿って航海し、ヴォルガ川右岸の支流に向かう連水陸路を進み、さらにヴォルガ川から河口のカスピ海へと至った。なお、ヴォルガ川やカスピ海はヴァリャーグからペルシアへの東の水の路(ヴァリャーグからハザールへの道、もしくはブルガールへの道。)の一部でもあった。さらにいえば、そもそも黒海自体が、南ブーフ川、ドニエストル川、ドナウ川を通じて西欧へと至る商業路の要衝だった。地中海にはイタリアの港湾都市を含む、ヨーロッパ大西洋岸への航路が存在した。おびただしい数の資料や考古学上の発見が、航路の存在を証明している。
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