出生と初期の軍歴とは? わかりやすく解説

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出生と初期の軍歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 14:06 UTC 版)

ジェームズ・ウルフ」の記事における「出生と初期の軍歴」の解説

ウルフイングランドケント州のウェスタラムで、エドワード・ウルフ大佐とヘンリエッタ夫妻長男として生まれた1738年頃に一家ロンドン近郊グリニッジ転居した。14歳父親の第1海兵連隊入隊し以降陸軍一筋軍歴積んだ2年後オーストリア継承戦争1740年 - 1748年)が勃発したウルフは、病気のせいで、戦争初期には連隊同行してヨーロッパへ出征することが適わなかったが、イギリス陸軍歩兵連隊である第12歩兵連隊転属され、数ヶ月後にフランドル出航したウルフ少尉昇進し大隊副官務めた1743年に、ウルフデッティンゲンの戦い参加し、そこでの活躍によってカンバーランド公ウィリアム・オーガスタスに目をかけられることになった翌年ウルフは第45歩兵連隊隊長となった1745年ウルフ連隊イギリス呼び戻されジャコバイトの反乱鎮圧あたったウルフ1746年スコットランドに赴き、ヘンリー・ホーリイ将軍の下で副官務めチャールズ・エドワード・ステュアート率いジャコバイト勢力鎮圧作戦加わりフォルカークの戦いカロデンの戦い参戦したカロデンの戦いウルフは「命令に従うよりも名誉を重んじる」と主張して負傷したスコットランド高地人の兵を撃て、と云うカンバーランド公命令背いた。この行為は、後にウルフ率いることになったロイヤル・ノースブリティッシュ・フュージリアーズ連隊での声望高め一因ともなったウルフドイツ戻りモードント将軍指揮下でオーストリア継承戦争前線復帰したウルフマーストリヒト戦いで負傷し表彰受けた1748年21歳で既に7つ作戦行動参加したウルフイギリス帰還した。そして、スコットランド戻って守備隊加わり一年後に第20歩兵連隊少佐となり、スターリング駐屯した。1750年ウルフは、22歳にして、中佐昇進したウルフ8年間にわたりスコットランド連隊在籍し軍事に関するいくつかの論文上梓し、度々のパリへ出張結果フランス語にも熟達したウルフは、1758年その2年前勃発した七年戦争参加するべく北米派遣された。

※この「出生と初期の軍歴」の解説は、「ジェームズ・ウルフ」の解説の一部です。
「出生と初期の軍歴」を含む「ジェームズ・ウルフ」の記事については、「ジェームズ・ウルフ」の概要を参照ください。

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