処女作の成功
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「ダニー・ラフェリエール」の記事における「処女作の成功」の解説
1985年に発表した処女作『ニグロと疲れないでセックスをする方法』が話題を呼び、ベストセラーとなった。4年後にジャック・W・ブノワ(フランス語版)監督により同名の映画が制作された(邦題は『間違いだらけの恋愛講座』)。この映画は米国のほとんどの映画館が上映を見合わせたが、ラフェリエールはこの他にも自著『若い娘の味』の映画化(ジョン・レキュイエ(フランス語版)監督)で脚本を担当し、2006年に刊行され、同年、ローラン・カンテ監督によって映画化された『南へ』(邦題『南へ向かう女たち』)の制作にも関わっている。 処女作の成功を機に、ラフェリエールは1986年に創設されたテレビ局TQS(四季テレビ)に採用され、天気予報担当となった。ユーモアに溢れた軽快な語り口が好評を博し、次いで1989年から92年までラジオ・カナダ(カナダ放送協会)の文化番組「六人組」に出演した。ラフェリエールのほか、マリー=フランス・バッゾ(フランス語版)、スザンヌ・レヴェスク(フランス語版)、ルネ・オミエ=ロワ(フランス語版)、ナタリー・ペトロウスキー(フランス語版)、ジョルジュ=エベール・ジェルマン(フランス語版)の6人のジャーナリストが文学、音楽、演劇、映画などの新作について論じ合う番組である。 1986年は敬愛するボルヘスが亡くなった年であり、また、デュヴァリエ独裁政権が崩壊した年でもある。ラフェリエールは友人の作家ジャン=クロード・シャルルとともに亡命後初めてハイチを訪れ、トントン・マクートの解散について取材し、この記事を『ル・ヌーヴェリスト』に発表した。
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