冷泉為豊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/14 07:18 UTC 版)
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時代 | 戦国時代 |
生誕 | 永正元年(1504年) |
死没 | 永禄3年(1560年)以降? |
改名 | 為名→為豊 |
官位 | 従三位、非参議 |
主君 | 後柏原天皇→後奈良天皇→正親町天皇 |
氏族 | 下冷泉家 |
父母 | 父:冷泉為孝、母:不詳 |
子 | 為純、甘露寺経元 |
冷泉 為豊(れいぜい ためとよ)は、戦国時代の公卿。権中納言・冷泉為孝の子。官位は従三位・非参議。下冷泉家4代。初名は為名(ためな)[1]。
経歴
後柏原朝の永正7年(1510年)叙爵[1]。侍従、左近衛少将、信濃介、左近衛中将、美濃権介を歴任し、天文20年(1551年)従三位・非参議に任ぜられ、公卿に列する[1]。永禄元年(1558年)致仕し、子の為純とともに播磨国へ下向する。永禄3年(1560年)57歳で出家[1]。出家後の消息は不明。
官歴
『公卿補任』による
- 永正元年(1504年) 某日:誕生
- 永正7年(1510年) 3月6日:叙爵(従五位下)
- 永正14年(1515年) 4月9日:元服、侍従。5月3日:従五位上
- 永正18年(1519年) 3月17日:正五位下。10月28日:左近衛少将
- 大永2年(1519年) 3月29日:信濃介
- 大永6年(1523年) 6月26日:従四位下
- 天文13年(1544年) 9月1日:従四位上。9月3日:左近衛中将
- 天文14年(1545年) 3月25日:美濃権介。3月27日:正四位下
- 天文20年(1551年) 7月27日:従三位、非参議。8月某日:侍従
- 永禄3年(1560年) 某日:出家
系譜
脚注
出典
- 坂本武雄『公卿辞典』七丈書院、1944年、81頁。
- 黒板勝美『公卿補任』吉川弘文館、2000年。
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