冷泉経子とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 冷泉経子の意味・解説 

冷泉経子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/22 14:33 UTC 版)

冷泉 経子(れいぜい つねこ、延宝6年2月11日1678年4月2日) - 宝暦5年8月2日1755年9月7日))は、東山天皇典侍。父は権大納言冷泉為経[1]。養父は参議の水無瀬兼豊。春日局、東二条殿と称された。初名は兼子。法号は永寿院。

生涯

権大納言冷泉為経の娘として生まれる。その後、参議水無瀬兼豊の養女となった[2]東山天皇の後宮に入り、1697年元禄10年)に公寛法親王を生み、従三位となった。通称は春日局、後に東二条殿と称された[2]。しかし、三宮(公寛法親王)の実父が天皇の弟の京極宮文仁親王であるという風説が流された上、三宮が霊元上皇に寵愛されていた経緯から、上皇と不仲であった天皇と近衛基熙は三宮を皇位継承から外すことを画策し、異母弟である中御門天皇が立てられることになった[3]

1755年宝暦5年8月2日)、死去。享年78。法号は永寿院[2]

脚注

  1. ^ 下冷泉家(羽林家)”. Reichsarchiv ~世界帝王事典~. 2021年1月15日閲覧。
  2. ^ a b c 「日本人名大辞典」(講談社
  3. ^ 久保貴子『近世の朝廷運営 ―朝幕関係の展開―』(岩田書院、1998年) ISBN 4872941152 C3321 P170-173.



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  冷泉経子のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「冷泉経子」の関連用語

冷泉経子のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



冷泉経子のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの冷泉経子 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS