写真をめぐる特許紛争の終わり
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「ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット」の記事における「写真をめぐる特許紛争の終わり」の解説
1852年8月、タイムズ紙は王立協会会長のロス卿、王立芸術アカデミー会長のチャールズ・ロック・イーストレイクの公開書簡を掲載した。彼らはタルボットに、写真技術の進歩を促進するために特許料の圧力を緩和してほしいと訴えた。タルボットはこれに応え、アマチュア写真家からの特許使用料徴収をやめたが、プロの肖像写真家への特許料徴収は続けようとし、その結果いくつもの裁判に敗訴した。当時、販売用に肖像写真を作ろうとする者への特許使用料は最初の1年で100ポンド、その後毎年150ポンドという額であった。 1854年、タルボットは1855年に切れる特許の14年間延長を申請した。当時彼が抱えていた裁判の一つに湿式コロジオン法を使う写真家マーティン・ラローシュに対するものがあったが、この裁判がタルボットの特許紛争の転回点となった。ラローシュ側は特許自体の無効性を訴え、その理由としてジョゼフ・リードがカロタイプと同様の手法を先に考案していたことを挙げた。湿式コロジオン法の利用についても、カロタイプとコロジオン法は同じネガポジ式ながら重大な違いがいろいろとあるため特許侵害ではないと主張した。判決で、判事はカロタイプの特許延長は是認したが、ラローシュがコロジオン法を使うことはカロタイプの特許侵害にあたらないと認めた。この判決に失望したタルボットは、特許延長を取りやめた。写真術は、やっと特許から自由になったのである。
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