再デビュー当時のエピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 20:23 UTC 版)
「ジャッキー・チェン」の記事における「再デビュー当時のエピソード」の解説
『レッド・ドラゴン/新・怒りの鉄拳』(1976年)で、ロー・ウェイがジャッキーに求めたのはブルース・リーの姿そのもので、不器用な演技しかできなかったジャッキーにとって、それはあまりに困難だった。撮影現場で、要求に思うように応えられないジャッキーに対し、ローは怒りをぶちまけるのだった。その度にマネージャーのウィリーはジャッキーの不満や悩みを聞いてやり、なだめては何とか撮影を続けさせた。当時、香港にはマネージャーという概念自体がなく、後にジャッキーの右腕を振るったウィリーこそ、その元祖と言われている。ローは現場を抜け出してギャンブルをしに行ったりし、撮影を他人任せにしていなくなることが多かった。 再デビューの撮影から2か月を待たずしてジャッキーは次回作『少林寺木人拳』(1976年)の撮影に取り掛かる。本作の総監督たるローは前作の出来によほど嫌気が差したせいか、ジャッキー同様に安いギャラで雇った当時の若手監督のチェン・チーホワ(陳誌華)に、実際の撮影現場をほぼ任せっきりにした。前作の撮影監督がチーホワで、ジャッキーより7歳年上と年齢が近いこともあってすぐに意気投合。ともに20代で若い感性を持っており、互いにアイデアを出し合って、映画作りを楽しんだ。ジャッキーは後にこの作品を「ある意味、僕の最初の『夢の映画』。映画作りとはこうあるべきだと思って作った」と語っている。
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