内藤第3戦とは? わかりやすく解説

内藤第3戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/28 20:17 UTC 版)

ポンサクレック・ウォンジョンカム」の記事における「内藤第3戦」の解説

2007年7月18日日本後楽園ホールにて過去2度対戦している内藤大助日本)と対戦序盤から動き精細欠き過去2戦とは違って長いリーチ活かし変則的なアウトボクシングをする内藤に有効打とポイント奪われ苦戦。9回に疲労により動き落ちた内藤攻勢をしかけるも同回終盤には押し返されその後挑戦者優勢ペース試合終了ゴング結果0-3(113-116が2者、113-115)の判定負け喫し18度目の防衛失敗し、約6年4ヶ月渡って保持してきた王座から陥落するとともに内藤雪辱許した。この試合勝利すれば、10月19度目の防衛戦行ったのち12月タイの王宮でタイボクサー連続防衛新記録となる20度目の試合計画していたがこの敗戦白紙になった2007年10月24日地元タイにてレイ・ミグレノ(フィリピン)と世界王座陥落後再起戦行い3回TKO勝ちを収めて再起成功した2008年3月8日日本両国国技館にて王座奪還目指し前年7月王座奪われ内藤大助日本)に指名挑戦者として挑戦4度目の対決となった両者試合序盤からハイレベル技術戦となり、序盤から中盤にかけお互いパンチ当たらない展開だったが中盤以降お互いの距離が縮まったこともあり、パンチが当たりだしてヒートアップ。そして一進一退のまま12回を戦い抜き結果1-1(115-114、113-115、114-114)のドローとなった規定により王者である内藤防衛となり、王座奪還はならなかった。その後ノンタイトル戦を4戦行い4勝(3KO)。

※この「内藤第3戦」の解説は、「ポンサクレック・ウォンジョンカム」の解説の一部です。
「内藤第3戦」を含む「ポンサクレック・ウォンジョンカム」の記事については、「ポンサクレック・ウォンジョンカム」の概要を参照ください。

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