内房海岸の海苔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 05:49 UTC 版)
千葉県の海苔づくりは、江戸時代末期、江戸・大森の海苔養殖業者・近江屋甚兵衛(1766年-1844年)が、1822年(文政5年)に君津の人見部落の名主の力を得て始めたのが起源とされる。1894年(明治27年)の海苔解放争議 を経て養殖は富津から北上し、木更津では1896年(明治29年)に、現市原の五井村で1909年(明治42年)から海苔養殖が始まり、青柳、松ヶ島、椎津、八幡へと広がった。内房海岸部では半農半漁的な農村生活が戦後の高度経済成長期まで営まれていた。このことから、この地域の海苔等を用いた文様表現の始まりは早くても明治後期〜大正以降と推定されるが、その詳細は定かではない。なお、太平洋の荒波にさらされる外房では海苔は採れない。しかし大正末〜戦前には既にシンプルな文様有の太巻き寿司が(上総外房に)伝播していた可能性がある。千葉県の太巻き寿司の特徴は絵柄や文字などの文様が海苔や干瓢を用いて表現されていることである。外巻き具材としては海苔以外に薄焼き卵があるが、基本的に海苔なしでは内側の文様は表現できず、かつて上総海苔の一大生産地であった富津〜市原の内房海岸部でも、現在ではきれいな文様の太巻き寿司が盛んに作られている。
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