六角氏の嫡流は誰かとは? わかりやすく解説

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六角氏の嫡流は誰か

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 19:07 UTC 版)

六角定治」の記事における「六角氏の嫡流は誰か」の解説

定治の孫・佐々木定賢は、宝永5年1708年)に『佐々木氏系譜序例』を著し、「佐々木四郎」を名乗った六角義治嫡流である自分こそが佐々木氏嫡流であると主張した。『寛永諸家系図伝編纂時に同族旗本佐々木高重が自らを佐々木氏六角氏嫡流であるとした系図提出したことを不当とし、抗議したが容れられず誤り続いているとしている。また「佐々木氏偽宗弁」を付し六角氏嫡流称していた沢田源内を、全くの偽系譜六角氏本家は義実-義秀-義郷(沢田源内)とする)で世間欺いていると非難した。これらは『系図綜覧』に収録されている。 高重は、家譜義治の跡を義治の弟・義定が継いだとし、更に義定の跡は次男の高和が継承したとしていた。高和の子が高重である。『寛永系図』にはこの系譜採取された。ただしこの家は高重の子・求馬定賢が延宝9年1681年)に早世し無嗣断絶となった。なお『寛永系図』の続編改修版)・『寛政重修諸家譜』では佐々木庶流となっている。 一方、定賢の先祖義治養子・定治である。定治は義定の長男・高賢と、義治の娘との間に生まれた子で、外祖父義治養子となった主張したまた、六角氏歴代法要が定治とその子孫である加賀藩佐々木家によって行われていることを根拠に、六角家宗家家督義治の後は娘婿である定治が継いだとして、義定と高和の系統その分であったとする説もある(この説に基づけば六角氏17代目当主は定治ということになる)。 平成29年2017年になって六角義賢義治の父)の墓所がある酬恩庵から発見され文書により、定治が六角氏後継者として実際に義賢義治父子供養に関わっていたことを裏付けられ、定賢の主張事実とする説が有力視されるようになった

※この「六角氏の嫡流は誰か」の解説は、「六角定治」の解説の一部です。
「六角氏の嫡流は誰か」を含む「六角定治」の記事については、「六角定治」の概要を参照ください。

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