公的捜査と裁判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 02:12 UTC 版)
最終的に川又検事正が記者団を招集し、自らの目撃体験に基づいて特別談話を発表したことから、大石国警隊長を先頭に国警が記者らも伴って捜査に入った。これに反発した岡田更生館側は正面玄関に「親が子を叱って何故悪い?」「愛情のムチを見誤るな!」「大森・小西記者の大誤報!」といった内容のプラカードや張り紙を貼り出した。 また、本館2階の大広間には独自の会見場を設け、反論した。その会見場には、身なりが整えられた収容者が200名余り集められ、正座していた。壇上に立ったN館長が「もし、本当に、私が悪事を働いたと思う人があれば、いまここで、県や国のお役人の前で、手をあげて下さい。」と涙声で訴えたことから、収容者は全員うつむいたまま、手を挙げる者は誰一人いなかった。これに対して、大森が国警隊長に要請して館長を退場させたのち、入所者を説得する演説を行ったことから、最終的には全員が手を挙げた。こうして指導員たちは国警によって逮捕されることとなった。 事件発覚から1年後の1950年2月28日、岡山地裁で裁判が開かれ、N館長に業務上横領と私文書偽造で懲役1年(求刑懲役3年からの減軽)、岡山県会計課主事の男性が私文書偽造で懲役1年(求刑懲役2年からの減軽)、岡田更生館指導員の男性が業務上横領と私文書偽造で懲役8か月・執行猶予3年(求刑懲役1年からの減軽)、会計係が同罪で懲役6か月・執行猶予2年(求刑懲役1年からの減軽)の判決が下った。N館長と会計課主事の計2名は控訴した[信頼性要検証]。
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