公権力による接収と拡張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/14 17:54 UTC 版)
「ケープコッド運河」の記事における「公権力による接収と拡張」の解説
第一次世界大戦中の1918年7月21日、ドイツ帝国海軍(Kaiserliche Marine)のUボート、U-156(英語版)はオーリーンズ(英語版)の沖5.5キロメートルに浮上し、タグボートPerth Amboy と曳航されていた艀とを砲撃した(別項、オーリーンズ攻撃(英語版)を参照)。4日後には大統領令に基づき鉄道管理局長官は運河の管轄権と運営を接収した。政府の管理下に置かれていた1920年までの期間に陸軍工兵司令部は運河の再浚渫を行い深さ7.62メートルとした。1928年、政府は無料の公共水路として使えるよう運河を買収した。買収価格は1,140万ドルだったが、1935年から1940年までの期間、運河を146.35メートルに拡幅し、深さを9.76メートルにするため更に2,100万ドルが支出された。結果としてケープコッド運河はその時代で最も幅の広い海水面運河 (sea level canal) となった。運河の南側入り口はフィニー港経由でなく、バザーズ湾から直接アクセスできるよう改造された。改造工事前、マサチューセッツ工科大学は大規模な模型(1キロメートルを1.71メートルに縮小: 縮尺約 1/585)を組立てた。これは延伸され、ルート変更された運河に対して、潮流がどのような水力学的な影響を与えるかを研究するためのものであった。
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