公森家(公森家都宇郡大内田村)
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「公森太郎」の記事における「公森家(公森家都宇郡大内田村)」の解説
公森家は、歌人藤原俊成卿の子孫である。俊成卿は中納言の位で皇太后太夫(皇太后に仕える仕事)の職に任じられ権中納言定家と共に百人一首を撰した。安徳天皇に仕えていたので、源平合戦の後、民間に降り、備中国平田に居住した。平田に皇太后国コウダイコクという字地名があるのはこれによると云われている。その子俊直より十三代の後裔某の妻は遺子為俊をつれて大内田村庄屋森竹右衛門妻に再嫁した。竹右衛門に嗣子がなかったので、為俊がその家を嗣いだ。為俊は姓を「公森」と改めて竹右衛門を襲名した。
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