八ツ墓村とは? わかりやすく解説

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八ツ墓村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/24 06:32 UTC 版)

八ツ墓村』(やつはかむら)は1951年東映京都撮影所で製作、東映で配給された日本映画[1]横溝正史の『八つ墓村』最初の映画化作品。片岡千恵蔵金田一耕助シリーズの第3作。監督・松田定次、脚本・比佐芳武。後の東映社長・岡田茂の三本目のプロデュース作[2][3][4]


  1. ^ a b 「撮影所通信」『キネマ旬報』1951年10月上旬号、キネマ旬報社、86–87頁。 
  2. ^ a b c d e f 東映十年史編纂委員会(編)「『八ツ墓村』と2本建初期の思い出 文・岡田茂」『東映十年史』東映、1962年、367-368頁。 
  3. ^ 八ツ墓村 - KINENOTE
  4. ^ 三鬼陽之助「三鬼陽之介のトップ会談 第95回 『任侠路線で"観客頂戴いたします"』 東映社長・岡田茂氏」『週刊サンケイ』1971年11月5日号、産業経済新聞社、136頁。 
  5. ^ a b c d 横溝正史研究5 2013, pp. 216–218.
  6. ^ “広告”. 読売新聞夕刊 (読売新聞社): p. 1. (1951年10月30日) 
  7. ^ モルモット吉田「失われた千恵蔵版『八つ墓村』」『金田一耕助映像読本』洋泉社、2014年、60-61頁。ISBN 978-4-8003-0288-5 
  8. ^ a b c d 岡田茂『悔いなきわが映画人生 東映と、共に歩んだ50年』財界研究所、2001年、87-88頁。ISBN 4-87932-016-1 
  9. ^ 大谷弘路 (2011年5月10日). “〈評伝〉 東映名誉会長 岡田茂氏死去 黄金期支えた"ドン" 希代のヒットメーカー”. 東京新聞 (中日新聞東京本社): pp. 朝刊TV解説14頁 「追悼特集 プロデューサー、岡田茂 不良性感度と欲望の帝王学 岡田茂論 文・高崎俊夫」『東映キネマ旬報 2011年夏号 vol.17』2011年8月1日、東映ビデオ、2-5頁。 
  10. ^ a b 竹中労「竹中労の芸能界深層レポート 『東映一族の陰謀 いま東映に何が起こっているか』 我につくも、敵にまわるも心して決めい!」『週刊文春』1978年3月2日号、文藝春秋、34-41頁。 
  11. ^ 「岡田茂インタビュー 『俺は"映画の錦之助"として死にたいと晩年の彼は言っていた』 文・金澤誠」『キネマ旬報臨時増刊 天晴れ!時代劇』1997年12月16日発行、キネマ旬報社、16-18頁。 
  12. ^ 読売新聞文化部 編『映画百年 映画はこうしてはじまった』キネマ旬報社、1997年、72頁。ISBN 4873761980 “人間登場 日本映画製作者連盟の会長になった岡田茂さん『自力更生あるのみ』”. 読売新聞 (読売新聞社): p. 5頁. (1978年6月8日) 
  13. ^ “太秦最後のカツドウ屋(中)東映、反骨のエネルギーを語る(ひと脈々)怪獣だけが映画じゃない、時代劇が銀幕の黄金時代を築いた (戦後の履歴書)”. 日本経済新聞夕刊 (大阪: 日本経済新聞社): p. オムニバス関西29頁. (2010年9月9日) 


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