全日空横浜クラブ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/06 10:14 UTC 版)
全日空スポーツは1984年12月21日、「全日空グループ企業に所属する社員の士気高揚」「企業イメージの向上」「企業利益の社会への還元」を名目に設立された。資本金は5千万円。初代社長には全日本空輸常務の長谷川章が就任した。主な業務としてサッカークラブの運営管理が挙げられるが、これは日本プロ野球の球団経営をモデルにしたもので、クラブを保有する親会社の全日空から運営を委託され運営管理を行っていた。 設立当時、全日空は総合サービス業化を目指して、航空や旅行業界のみならず、全くの異業種の企業への資本参加や企業買収を行い、経営に参画していたが、こうした取り組みを「様々な業務に対応するための実験の一環」と称していた。全日空スポーツはサッカークラブの運営に留まらず幅広い事業展開を計画し、全日空の路線がある国内外リゾート地を訪れる旅行者向けにスキーやマリンスポーツなどのスポーツプランを提供する事業にも関わった。 サッカークラブに関しては、もともと全日空が独自に立ち上げたものではなかった。横浜市を拠点に活動していた横浜サッカークラブに対して1979年からスポンサーとして支援をしていたが、同クラブが1984年の日本サッカーリーグ (JSL) 2部で2位となりJSL1部昇格を果たした際、全日空が全額出資する形で会社が設立された。一方、運営権が横浜サッカークラブから全日空スポーツに移行する過程で、人事や運営方針を巡って双方に軋轢が生じ、1986年3月22日に主力6選手が同社に抗議して公式戦をボイコットするに至り、日本サッカー協会 (JFA) から選手と関係者が処分される事態となった(全日空横浜サッカークラブ・ボイコット事件)。
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