健康保険組合立病院として開院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 05:58 UTC 版)
「石川島記念病院」の記事における「健康保険組合立病院として開院」の解説
当院の開院時は、石川島造船所健康保険組合(現・IHIグループ健康保険組合)による直営の健康保険組合立病院であり、当初の病院名は石川島造船所健康保険組合病院であった。その後、健康保険組合の母体企業の社名変更に伴い、石川島播磨重工業健康保険組合病院(通称・石川島東京病院)、IHI東京病院と病院名が変更された。その後、IHIグループ健康保険組合から医療法人社団健育会に経営が移管されたことにより、現在の石川島記念病院に至る。公式ウェブサイトにより確認できる過去及び現在の病院名は以上であるが、健康保険組合立病院時代に当院を経営していた健康保険組合の母体企業はこれ以外にも社名変更を行っていること、また1974年(昭和49年)に母体企業に属する東京・名古屋・相生・呉の4つの健康保険組合が統合して、現在のIHI播磨病院では病院名の改称が行われていることから、実際に名乗っていた過去の病院名は、これらよりも多いと考えられる。 経営移管前の病院名に含まれる「石川島」は、健康保険組合の母体企業の社名に由来するものであるが、母体企業の社名そのものは、江戸幕府が水戸藩前藩主徳川斉昭に命じて1853年(嘉永6年)12月5日に創業した造船所の所在地が、江戸隅田川河口の石川島(現在の東京都中央区佃2丁目)であることに由来するものであって、経営移管に伴う病院名の改称の際も、この地名をとって「石川島」を病院名に用いている。 なお、開院から2012年(平成24年)までは健康保険組合立病院であったが、一般の病院と同様、従業員以外に対する診療も現在に至るまで行っている。企業による病院であったため、内科や整形外科を中心とした入院診療も行っていて、特に整形外科については古くから実績があった。
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