修験道・陰陽道の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 04:39 UTC 版)
奈良時代頃には、古来日本では山中他界とされ、足を踏み入れることのなかった山中が、密教、陰陽道、神祇信仰など様々な要素の影響を受けて、修行場となりはじめた。その草創期の人物として役小角などが上げられるが、平安時代末期に入るとそういった山岳修行が組織化されていき、金峯山、熊野三山、出羽三山、戸隠山などが代表的な霊山とされ、修験道が形成されていった。さらに後には、天台宗系の本山派と、真言宗系の当山派、出羽三山を拠点とする羽黒派、英彦山に拠点を置く英彦山派などの修験道各派が成立していく。 平安時代には、朝廷において陰陽道も成立した。陰陽道は、中国から輸入された陰陽五行説をもとに、日本で独自に発展したものである。陰陽道の成立は神道にも影響を与え、神祇官が行なっていた大祓や道饗祭などの祭祀が陰陽寮の儀礼として行われるようになり、中臣氏が奏上していた大祓(中臣祓)も「中臣祭文」に改まり、陰陽師に用いられるようになった。この違いは、中臣祓は宣読体であったものが、祭文では奏上体になっていることである。ただし、神道祭祀が国家的なものであるのに対して、陰陽道は貴族たちの疫病退散や立身出世など、現世利益の要求が高まる中で行われていったものである。10世紀からは、安倍氏や賀茂氏が中心になって陰陽寮が世襲されるようになった。
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