修験者への道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 08:14 UTC 版)
15歳になった時、千野貞亮から元服して武士となり諏訪藩へ勤めよとの推挙があったが権三郎はこれを断わり、修験者になるべく、貞亮から暇を貰い、下古田の万福院の弟子となり修験道を学ぶ。その後、北山村の万宝院に弟子入りをし、神道を学ぶ。さらに東西の名師を尋ね歩き、難苦行を3年余り続けた。 父の独自の修行も集大成を迎えた。今右衛門は17歳の権三郎を、甲州にある尾白川の徒渉点に、10日分の乾し飯を与えて放置した。今右衛門の執念にとって、既に、権三郎は条件反射学の実験動物のようなものであった。この川筋に沿って登り、頂上を極めて帰える他、生きて上古田へ帰る方法はないと、追い込んでいたのである。
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